2014年05月08日

言葉遣いについて考える

前回『ありがとう』『すみません』について書かせていただきました。

こういう『相手に自分の思いを伝える言葉』というのは何よりも大事なものでありながら、きちんと言えない子が多いように思います。

さらに『おはよう』『こんにちは』『さようなら』という単純な挨拶でさえしない子すらいるようにも感じます。

敬語に至っては、きちんと使えない子がほとんどです。

もっとも、敬語は非常に難しく、私自身はじめ大人でさえ十分に理解し正しく使えているとは言い切れませんが。



(問題を指差しながら)「センセ、これ」

これまで多くの生徒の指導をしてきましたが、授業をしていて生徒がこんなことを言うときがあります。

ちなみに上は、正確には「先生、この問題が分からないので教えてください」ということを言いたいときの発言です。

こういうとき、私は(言いたいことは分かっていても)こう聞き返します。

「これ?これがどうかした?」

するとその生徒からは決まってこう返ってきます。

「わからない」

「わからないからどうした?」と私。

「教えて」と生徒。

ここまで誘導してようやく言わなければならないことをすべて言い終えた形になるのです。

問題点としては、まず敬語が使えていない。それと助詞(が・に・を・は)を省略し、単語だけを並べて話そうとする。

ご家庭でもお子さんの言葉に対してそうお感じになる親御さんは多いのではないでしょうか。



こういう不十分な言葉遣いの原因はいろいろあるでしょうが、そのひとつとして、やはり家庭での教育が十分ではないという面があるのは事実でしょう。

家庭というものの性質も大きく変化しており、ここにも問題はありそうです。

昔は親・子どもと一緒におじいちゃんおばあちゃんが同居していました。

おじいちゃんなどは特に普段は優しいのですが、礼儀作法に関しては厳しく教育する方が多かったように思います。

しかし今は核家族化・共働き・少子化などで、家庭でしつけやマナーを学ぶ機会が減っているように思います。

また学校においても、以前はどの学校にも必ずいた『とてつもなくおっかない先生』がいないようにも思います。

部活等においても、先輩後輩の間柄が厳格でなく、先輩に対しても友達感覚で話せるようなところも多いです。

私が中学生のときの部活動では、先輩の存在は絶対で、校舎内で休み時間などに先輩とすれ違うときなどは、こちらが何をしていようとも手を一旦止めて直立不動で先輩の姿が見えなくなるまで挨拶をしていました。

そこまでの軍隊的な強制が必要かどうかは別として、それによって学んだ礼儀作法も少なからずあるのは事実です。

今の子たちにはそういう『厳しくしつけられる機会』というものが少なく、よくない言葉づかいに対しても注意される機会が減っているのでしょう。

それが言葉の乱れや不十分な表現につながっている一因であるとも言えると思います。



こういう子どもたちが大人になり、社会に出て、会社で上司に「部長、これ終わった」などというひどい言葉遣いをするということはないかもしれません。

年齢とともにコミュニケーション力は上がりますから。

しかし、近年企業においても新入社員の言葉の乱れがよく話題になっていますし、以前に行われた調査では新入社員に対して一番重要視するのは言葉遣いだという結果が出ています。

つまり、正しい言葉遣いは年齢とともに身につくと言っても、その都度学ぶべきものであり、学びの機会が不足したまま放っておいても自然と十分なレベルにまで向上するというものではなさそうです。

ご家庭においては、お子さんの言葉遣いでよくない表現や不十分な表現があれば、あえて言い直させてください。

一度の注意では何も変化しないかもしれませんが、それらひとつひとつが『学びの場』です。

そういう機会をいかに多く作るかが、しっかりとした言葉遣いをできるようになるかどうかのポイントであると思います。



ところで、もちろん言葉は時代とともに変化します。

たとえば、「こだわる」という言葉。

この言葉は以前は『どうでもよいような些細なことにとらわれる』というマイナス的要素の強い言葉でした。

しかし今ではプラスの意味でも使いますね。

むしろプラスの意味で使うことのほうが多いかもしれません。

『こだわりの料理』は「どうでもよい材料の選定や味付けにいちいちとらわれた料理」ではないですものね。

また、最近は「素晴らしい」の意味で「やばい」という言葉を使う場合があります。

「この料理やばいよ!」と言ったら、最上級の褒め言葉になるのでしょう。

こういう新しい表現が徐々に使われ始め、いずれ当たり前に使う言葉となる。そしてごく自然な日本語としていつの間にか定着する。

そういう意味では今の子どもたちの使う言葉をすべて「言葉の乱れだ」「おかしな表現だ」と否定すべきではないでしょう。

しかし、変わっていくべき言葉がある反面、変えてはならない言葉もあります。

『おはよう』『ありがとう』『すみません』が省略されてよいはずがありません。目上の人に敬語を使わなくてよいはずがありません。

そういうマナーを含んだ言葉遣いについては、まわりの大人がしっかりと教えていくべきことなのではないかというふうに思います。



posted by 塾長 at 20:24| Comment(0) | コラム | 更新情報をチェックする
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