教育とは生きる力を養うもの

ある学習塾の責任者の方と、私立高校の入試難易度や大学合格実績の話をしていたときのことです。

各高校の大学合格実績一覧に目を通しながら、その方がこんなことを言いました。

「我々のときには名門と言われた高校でも、現在の合格実績は過去からは想像もつかないほどダウンしている高校もありますね。例えばこの高校なんかは、我々のときには憧れの学校のひとつだったのに、今ではこの程度の進学実績ですから」

そう言って彼が実際に名前を挙げた高校は、「生徒の自主性を重んじる自由な校風」を特徴としている学校でした。



自由を売りにしている名門校は、自由だからこそ生徒個々にしっかりと自分を律する力、自ら取り組む姿勢を暗に求めます。

結局、こういう学校の実績の低下は、現在の生徒たちの『与えられないと勉強できない』『自分から能動的に取り組めない』という問題点をそのまま投影しているようにも思います。



ここでひとつデータを紹介します。少々古いデータですみません。

2006年、財団法人「日本青少年研究所」が東京と北京・ソウルで小学4~6年生に対して行った『学習を巡る子供の意識』に関する調査です。

目指す人間像の一つとして「勉強のできる子になりたいか」と質問したところ、 「そう思う」と答えたのは 東京が43.1%だったのに対し、北京78.2%、ソウル78.1%と他の2都市はいずれも7割を超えていました。

また、「将来のためにも、今がんばりたい」と考える小学生も、東京48.0%に対し、北京74.8%、ソウル72.1%と、大きな開きがありました。



このデータは学習意欲に関する調査結果ではありますが、同時に勉強のやり方(能動的か受動的か)も窺い知れるデータではないでしょうか。

「日本の子どもたちは自ら学ぶということが苦手で、受動的な勉強になってしまっている」とも受け取れるデータです。

与えられたことはやる、しかし与えられないと何もできない…。実際に学習塾の現場で指導していても、そういう生徒が多いように感じます。



ところで、以前にこのブログで『知識と知恵』という話を書きました。

その中で「なぜ勉強しなければならないのか」という質問に対しては、「知識だけでなく知恵も養うためだ」と私は答えていると述べました。

自ら課題を見つける力、またそれを打ち破っていく力も生きていく上で非常に大切な知恵のひとつです。

当然、それを学ばせることも非常に大切な教育です。

そういう意味では、何もかも与えた上でそれをこなすことを求める教育は、本来求められるべき理想の教育のあり方とは違うような気がします。



これは私たち学習塾の指導にも問題があるでしょう。

志望校に合格させるため、よい点を取らせるために解法のテクニック等の知識に偏った指導になり、あれもこれもと全てを生徒に与えてしまう。

そういう詰め込み教育の結果、仮にその生徒は志望校に合格できても、自ら進んで取り組む力が養われていないため、上記のような自主性を重んじる高校の場合だと、入学してから与えられるものが減り、何をしていいか分からないという状況に陥る恐れがあります。

また、当然のことながら、与えられることでしか自分の勉強を進められないような状況では、社会に出てからさらに大きな苦労をするということにもなりかねません。

たとえば組織の中で仕事を行う際にでも、与えられたことしかできない人間は戦力として期待されません。

社会の一員として活動する上では、学校の勉強以上に自主性や積極性、あるいは創造性などが求められます。

「言われたことしかできず、具体的な指示がないと動けない社員(部下)が多くなった」という声もよく聞きます。

それもやはり知識偏重の教育により生まれた問題なのかもしれません。



教育とは本来、生きる力を養うものではないでしょうか。

知識偏重で知恵を軽んじる教育は決して理想的な教育の姿とは言えないと思います。

志望校に合格させること自体は大切なことです。

しかし、その過程においては「自分の力で合格を勝ち取らせる」ということが何より大切なことであり、そういう指導によってこそ、本当の意味での生きる力は養われるのではないかと思います。






この記事へのコメント