勉強することってなぜ必要?

こんにちは。塾長の平岡です。

ある方から指摘(?)を受けて、今後はブログの最初に名乗ることにしました。



さて、プレストでは今日から後期授業が開始となりました。

夏期講習中は私も生徒指導に大忙しでほとんど教務以外の仕事ができませんでしたが、これからは今後の教室のことを考える時間ができます。

さらに生徒たちに満足を与えられる教室にすべく頑張ろうと思っています。



今回は、以前にも書いたことがあるようなないような…って内容について語ろうと思います。

夏期講習に、他のブースで授業を受けているある生徒がこんなことを言っていました。

「こんなの勉強して将来何の役に立つの?」

これに対する答えって難しいんですよね。

これをお読みの保護者様の中にも「確かに難しい」と共感される方が多いのではないでしょうか。

我々は指導のプロです。こういった質問にもしっかりと向き合わないといけませんし、生徒が納得する答えを返さないといけません。

確かに勉強している内容には、ほとんどの方にとって将来の生活には直結しない内容も多いです。

例えば古文の係り結びの法則を知らなくても、ごく一部の方を除いて将来的に困ることはないでしょう。

理科の質量保存の法則を知らなくても、社会のサバナ気候の特徴を知らなくても生きる上で支障はありません。

でも勉強はしなくちゃならない。

そりゃ生徒にとっては疑問ですよね。

大人になってもこの質問には答えられない人が多い。

それは「確かにふり返ってみると結果的に必要ないものであった。この生徒の言うとおりだ。返す言葉がない」ではありません。

うん、決してそうではない。

今やっている勉強の科目であったり内容のみに焦点を当てるからそう感じるのです。



勉強をすることで養えるものには大きく分けて3つあります。



まず1つ目は『知識』です。

大人になったときに、さまざまな知識を有していると、視野も広がります。

ただ、知識ってずっと脳内に残るものではない。

忘れていくことも多いです。

しかも直接的には必要でないように見えることも多くあります。

だからさまざまな知識を身につけること自体は、勉強をする意味の中でも重要度は高くないと私は考えています。

生徒たちが「なぜこんなこと勉強しなくちゃいけないの?」と聞いてくるときには、この『知識』の面にしか目を向けていないのです。

それに答える我々も知識にのみ焦点を当てていたら「うーん、確かに君の言う通り、この単元は将来必要ないね」という答えになってしまいます。



2つ目は『知恵』です。

勉強していると、無意識のうちにさまざまな工夫をします。

以前に学習したことを思い出して使ってみる。

さっきやった問題の解法をあてはめてみる。

「これどうやって解くんだろう…。ちょっと待てよ、さっきのあの問題と同じようにしたら解けるんじゃないかな」

「あれ?答えが合わないな。なんでだろう。ちょっとやり方を変えてこの方法でもう一度解いてみるか」

こういうことって、勉強の中で日常的に考えたりやったりしていますよね。

こうやって正答を導き出すために「ああでもない、こうでもない」と考える、これこそが知恵のトレーニングになっているのです。

知恵のある人って、大人になっても仕事の面で業務処理が手際良かったり、先を見て動いたり、全体を見て今一番必要なことを考え行動に移したりと、いわゆる『使える人材』になります。

たくさんの引き出しを持っていて、その場面に応じて最適な引き出しを開けて最適なものを取り出せる人間と言ってもよいかもしれません。

社会に出て活躍できる人材になるためには、それまでの学生のうちに、この『知恵のトレーニング』を十分に積んでおく必要があります。

そして、知恵を最大限生かすためには、1つ目に書いた『知識』が豊富であるほうが工夫の幅も広がるのは言うまでもありません。

だから『知識』もまったく不要なものというわけではないのです。



勉強をすることで養えるもの、3つ目は『努力の姿勢』です。

誰だって楽なほうがいいに決まっています。

努力なしで幸せな生活が送れるのであればそりゃいいに決まっている。

でも「努力なんて必要ない」「努力しなくても幸せになれる」なんてこと、誰も言いません。

努力することがいかに大事かは、100人中100人が分かっていることでしょう。

もちろんこの『努力』というのは、教科学習に限ったことではありません。

運動部に入っている人は、試合で勝つため、あるいは記録を上げるために努力していることでしょう。

習い事をしている人も上達するために努力しますよね。

すべて努力がないとランクアップできないのです。

勉強は大変です。だからこそ自分を律する精神力をもって努力することが大切なのです。

大変なものを努力で克服する経験をすることこそ、人生において大きな糧となるのではないでしょうか。

世の中で成功している人の中で、努力なしに現在の地位を築いた人はいないでしょう。

幸せな人生を送っている人の中で、幸せを手にするため、またそれを維持するための努力をしていないという人はいないでしょう。

自らの人生を豊かにするために、厳しい環境下でも逃げることなく努力することは不可欠であり、社会に出る前段階のうちは、特に本業である学習面において努力することこそが自分の将来を輝かせるということを生徒たちにはわからせたいなと思っています。



私は個別指導学院プレストの塾長として教育の仕事をしています。

世にある学習塾の理念ってさまざまです。

私も以前は受験専門塾という性格の塾で仕事をしていました。

そこで仕事をしていると、教える側も習う側も受験がゴールという感覚を持ってしまうのです。

当時の私もそうでした。

名の知れた難関校に教え子を合格させることが最終目標でした。

しかし今は違います。

生徒の将来にとって『今、何をすべきか』を考え、それを提供していこうと思っています。

もちろん受験に向けても全力で取り組ませます。

しかしそこはゴールではありません。一つのハードルをクリアしただけに過ぎないのです。

高校受験を終えて卒塾した生徒が久しぶりに教室に顔を出してくれたとき、その生徒の成績が「なんでこんなに良くないの?」と思うことがあります。

「なぜ昨年の努力を忘れちゃうんだろう」「なぜ自分でできないのなら高校進学後も継続して通塾しないのだろう」と残念な気持ちになります。

人生にはいくつものハードルがあります。それに向けて最後まで努力を続けないといけません。

プレストに通う生徒たちには、その姿勢が身につくようにしてあげたいと思っています。



私は、このような思いで生徒指導をしています。

だから冒頭の「こんなの勉強して将来何の役に立つの?」という質問に対しても、「受験で必要だから」とかではなく、こういった答えを言い聞かせるようにしています。

もちろんこれから大人へ向かって歩みを進める生徒たちですから「そうか!なるほど!」という実感のこもった理解には至らないでしょう。

でもいつか振り返ってみて「あの時の先生の言葉、今ならよくわかるなぁー」「頑張ってきてよかったなぁー」と感じてもらえればと思い、話しています。




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